ABBAの「ハッピーニューイヤー!」、なぜハノイで繰り返し流される?

2018年02月21日(水)00時00分 公開
ABBAの「ハッピーニューイヤー!」、なぜハノイで繰り返し流される?

スウェーデンの歌手グループABBAの歌は、どのようにして、ハノイの歴史の不穏な時期に現れたのか。

 

テトの時期になると、昔のABBAの曲「ハッピーニューイヤー!」が、ラジオ局やハノイ周辺のショップで何度も何度も繰り返し流される。

 

ABBAは世界中で遠い昔の記憶となっており、元気のある非常に成功したグループとして微かに覚えられているが、あまり人々を奮い立たせるわけではない。しかしハノイでは、どの年齢層の人々もこの曲を知っており、その多くはこの曲が大好きだ。

 

実際、 ABBAのハッピーニューイヤー!はおそらく最も元気があるもので、1994年にVăn Cao氏によって作曲された国歌「Tiến Quân Ca(進軍歌)」の次に、ベトナムの曲として敬愛されている。なぜなのだろうか。

1980年代、ベトナムは主に外界に閉鎖的で、外国との唯一の繋がりは、親しい国であるソ連圏との関係であった。

ハノイでは外国人は珍しく、協力派遣団の一員として訪れていた少数のロシア人がいた。

戦争の時代になぞらえ、ハノイの人々は彼らを「ドル紙幣を持っていないアメリカ人」のように見ていた。

 

しかし、1カ国だけ、ベトナムと親密な関係を保っていた西部の国があった。それがスェーデンだ。強い倫理原則に基づき、アメリカの戦争の不合理と大虐殺について正当に憤慨したスウェーデンは、ハノイに大使館を持つことは珍しく、ベトナムと大規模な開発協力プログラムに取り組んだ。

 

1960年代後半、ベトナムとスウェーデンの間でスカンジナビア人の専門知識を活用する製紙工場を建設するための協定が締結された。その製紙工場は、ハノイの北西約90キロメートルにあるBãi Bằngに位置する。そのプロジェクトはスェーデンのような小さい国にとって非常に大規模なものであった。最終的に、コストは当初予算の約4倍に増大した。

 

製紙工場を建設し、運営するまでに何年もかかった。ついにベトナムの北部に木製の小屋で作られた小さいスウェーデン風の村も現れた。

背の高い金髪の住民とサウナスパは、紛れもなくベトナムのものには見えなかった。このプロジェクトに協力したスウェーデンの多くの専門家が、ベトナムに恋をした。ベトナム人のパートナーと現地で結婚し、戻らない人が多くいた。

 

製紙工場、サウナスパ、背の高い金髪のスウェーデン人とともに、ABBAの音楽もその時にやってきた。当時、ベトナム当局は、西洋の影響に非常に疑念を抱いていた。外国の文化は、社会主義の理想と価値を崩壊する恐れがあったからだ。しかし、スウェーデンは信頼された同盟国であった。

 

ABBAの曲はベトナムで歓迎され、親密な同盟国の文化の一部として実際に祝われた。

一般的なハノイの人々は、その光沢のあるグループの見た目と気楽な音楽を、豊かさと陽気さとして表現した。

 

ABBAの曲は、ベトナムでの食料や資源不足の時に最も支持された。

当時、ハノイの人々は、わずかなコメの配給を受けるために、果てしない列に並び順番を待っていた。文化的な生活はほとんどなく、議論もほぼ存在しなかった。

そんな中、ABBAの曲は、ベトナムの外には繁栄し楽観的な世界があることを思い出させていた。それは、国と彼らの家族のための、ハノイの人々の深い願望を反映したものであった。

 

実際、ABBAの「ハッピーニューイヤー!」には、皮肉な内容が含められているものの、ハノイでは未だ愛されている。

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