おすすめのプロモーション
ホーチミン、築100年の建物の地下に眠る謎

ホーチミンにある秘密基地は現在、博物館となっている。この建物は傀儡政権によって政府重要人物のために建設された建物だ。
ホーチミン1区Ly Tu Trong通りにあるホーチミン市立博物館「Gia Long Palace」はフランスの建築士Alfres Foulhouxによって1885年〜1890年に建設された。
ホーチミン市立博物館は一時期、商業博物館や政治家Nam Phuong Hoefel氏の住宅として使用されていた。1962年、ホーチミン市の独立宮殿(現在は統一会堂)が爆弾によって完全に破壊されたとき、ホーチミン市立博物館はアメリカの傀儡政権であったベトナム共和国として知られる南ベトナムのNgo Dinh Diem首相(1901年〜1963年)の一時的な住居となっていた。
統一会堂が再建されるまでの間、Ngo Dinh Diem首相の家族は住宅が爆破される危険を恐れ、基地を建設することを決めた。
建築士のNgo Viet Thu氏が基地の建設を任されていたが、同氏はアメリカへ移動となった。そのため、同氏の仕事を引き継いだ人物が建築技術者のPhan Dinh Tang氏であった。基地の建設は1962年5月〜1963年10月の期間で行われた。高さ2mほどの基地の入り口は廊下の両端にあり、一度に1人しか通れない大きさである。
トンネルは地下4メートルの深さに掘られている。1立方メートルあたり170キログラムの鉄が入った「鉄筋コンクリート」は厚さ1メートルの壁を建設するために使用されている。この場所は500キログラムの爆竹や爆弾に耐えられるように設計されている。
基地には6つの金属製のドアが設置されており、それぞれ、ホイールと掛け金で閉まるように設計されている。
基地は外部との接続が可能となっており、緊急時、建物の中にいるVIPや警備員は5分以内に脱出できるようになっている。
基地の敷地面積は約1400平方メートルだ。建物には6部屋あり、それぞれ床はセメントで作られており、磁器タイルで舗装されている。
秘密基地内にあるNgo Dinh Diem首相の会議室の様子
現在、地下室には博物館の歴史を示した多くの写真が展示されている。
現在は、基地の地下設計図が展示されている。基地の建設にはかなりの費用がかけられているが、当時の具体的な建設費用は不明である。
写真は過去の新聞記事のコピーであり、1963年11月1日にホーチミンで起こったクーデターに関する内容の記事だ。当時、南ベトナム軍はNgo Dinh Diem首相に反対しクーデターを起こした。Ngo Dinh Diem首相と兄弟のNgo Dinh Nhu氏は基地の地下を通って車に乗り、父であるTam氏がいる大聖堂に身を隠したという。Ngo Dinh Diem首相とNgo Dinh Nhu氏はその後、自国政府の反対派によって暗殺された。
基地の入り口は博物館の裏に位置している。2つの出口があり、それぞれNam Ky Khoi Nghia通りとPasteur通りに繋がっている。
今日までホーチミン博物館は当時の建物に近い状態で残っている。浸水している地下部分は現在修繕中であるが、基地の一部は訪問者のために公開されている。
関連記事
※ポステオリジナルニュースは各ニュースソースを参考に編集・制作しています。