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ハノイの存在証明と都市文化、ハノイ出身という概念とは
<写真:tuoitre.vn>
14日にハノイ市で「デザイン・創造フェスティバル2024」の一環として、トークイベント「街と人―現代文学におけるハノイの姿」が開催され、文学研究者で評論家のファム・スアン・タック氏は「“ハノイ出身者”という概念は忘れるべきである」との見解を示した。
この主張は作家であるドー・ファン氏、グエン・ベト・ハー氏、チュオン・クイ氏らハノイ市を題材にした作品を多く手がける3人の作家からも賛同を得た。
「ハノイ出身者」の定義には矛盾があり、ファム氏は「都市とは本来的に移住者の交差点であり、そこに出身者という固定的な概念は存在しない」と指摘する。
ファム氏によれば「3世代にわたりハノイ市に居住している人々を“ハノイ出身者”とする定義」は、現在のハノイ人口の約10%に過ぎないとみられている。
このような定義に該当する人々でも、既にハノイ市を離れ他地域や海外で生活している場合も多いという。
さらに、こうした定義がもたらす最大の問題は、現在ハノイ市で生活し、同市の発展に貢献する人々の間に不必要な線引きを生む点であると指摘する。
ファム氏は「“ハノイ出身者”という曖昧な概念よりも、“ハノイ市で生活している人々”といった簡明な定義を用いるべきである」と提言した。
そして、その人がどれだけハノイ市に貢献しているかこそ、ハノイ人としての本質を測る基準であるという。
作家陣もファム氏の意見に賛同し、特にドー・ファン氏は「どの基準を用いても“ハノイ出身者”という定義は欠陥を抱える」とコメントした。
ファン氏は「10年間ハノイ市に居住して真のハノイ人となる人もいれば、10世代にわたって住み続けてもハノイ文化に溶け込まず、何の貢献もしていない人もいる」と述べている。
グエン・ベト・ハー氏は、この概念を巡る議論の複雑さを指摘する。過去に数十回のシンポジウムで論争が行われたが、未だに共通認識が得られていないという。
ハー氏はかつてパリでの講演で「ハノイ出身者」という表現を避け、「ハノイ市に住む人々」という概念を用いたことを明かし、この方が包括的で妥当性が高いと主張した。
また、チュオン・クイ氏は「重要なのは、ハノイ市に価値を創出する人々である」と述べ、具体例として、ハノイ市に関する最も有名な楽曲「ハノイを想う」は、作曲者のホアン・ヒエップ氏がアンザン省出身でありながら、ハノイ市に対する深い愛情をもって制作したものであると紹介した。
トークイベントではハノイ市の変遷についても議論が展開された。ファム氏は「ハノイ市の本質は絶え間ない変化にあり、それは宿命とも言える」と述べ、現在の混沌とした景観や生活様式に懸念を示した。
一方で、画家のディン・コン・ダット氏は、ハノイ市の「混沌」を否定的に捉えず、それが一種の魅力となり得ると反論している。
観光客がハノイ市を長期的に訪れる理由の1つに、こうした活気や独特の雰囲気があると指摘した。
ドー・ファン氏によると、ハノイ市の変化には良い面も悪い面もあり、それが新たな創作の動機となっている。
変化そのものが作家たちにハノイ市について書き続けさせ、ハノイ市への愛を育む原動力となっているという。
ハノイ市は変わり続ける都市であり、その中で生きる人々が都市文化を再定義している。固定的な「出身者」という概念ではなく、ハノイ市に価値を生み出す全ての人々がその未来を形作る存在である。
※ポステオリジナルニュースは各ニュースソースを参考に編集・制作しています。